「計算センター系地方豪族企業」の事例
前回の記事で、地域の情報化を支え、全国に進出していく「計算センター系地方豪族」についてご紹介しました。今回もこうした「計算センター系地方豪族の事例をいくつかご紹介します。
株式会社インテック(富山市)
インテックは1964年に「株式会社富山計算センター」として設立されました。インテックの公式ウェブサイトによると、富山県で創業されたこの企業の設立当時の事業内容は、パンチカードを用いて企業の計算業務を行うというものです。事業拡大に伴って新潟、東京、名古屋など次々に事業所を開設し1970年に「株式会社インテック」と社名を変更しました。1970年代には銀行オンラインシステムを韓国に輸出、医療情報システムの販売や地方自治体向けの住民情報オンラインシステムを構築しました。現在は国内23箇所に事業所を設立し、海外にも中国、ベトナム、アメリカに事業所を設立しました。現在の事業内容は技術研究やICTコンサルティング、ソフトウェア開発、システムインテグレーション、ネットワークサービス、アウトソーシングサービスがあり、関連会社には通信やデータセンター事業を行うものもあります。こちらも、地方豪族としての多角化の度合いとしてはやや狭めではありますが、地方発の企業が地方の情報化を支え、また全国に進出していった例と言えます。
地域貢献という側面においては、インテックは富山県で開催された「富山マラソン2016」のパートナー(協賛社)として、大会運営を支援したほか、プロサッカーチーム「カターレ富山」やプロ野球独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグ「富山GRNサンダーバーズ」のスポンサーとして地域のスポーツチームを支援しています。
また、内閣府が全国11の都市・地域を「環境未来都市」として選定し、環境や高齢化に対応した技術開発やまちづくりを選定していますが、インテックはこのプロジェクトに当初から参加し、「健康増進支援ICT」及び「社会参加ICT」において実証実験を行っています。
株式会社TKC(宇都宮市)
TKCの公式ウェブサイトによると、TKCは公認会計士、税理士である創立者が1966年に「株式会社栃木県計算センター」として設立されました。建設原価計算システムやTKC財務三表システムなど様々なシステムを構築し、創業当初から栃木県黒磯町(現:那須塩原市)市などの地方自治体から計算業務を受託していました。全国進出という観点としては大阪、岡山、名古屋などに計算センターを開設し、現在では北海道から沖縄まで全国各地に事業所を展開しています。現在の事業内容は、計算事業、データセンター事業、ソフトウェア開発、機器の販売、コンサルティング事業、教育研修事業となっています。
また、地方公共団体向けに住基・税・福祉などの分野における基幹系サービス、財務・給与などに関する庁内情報系サービス、住民向けサービスなども行い、地方行政の情報化を支えています。
そのほか、税理士・公認会計士であった創業者は公益財団法人の形で「租税資料館」を設立しました。この資料館では、租税に関する膨大な資料、文献を収集し、租税法研究等に関する人材の育成に努めています。また、TKCは栃木県の地域に根ざしたスポーツ文化の振興を支援するため、H.C.栃木日光アイスバックスと栃木サッカークラブのスポンサーやパートナーとなっています。
以上、地方発で地域の情報化を支えて全国に進出していった計算センター系地方豪族の事例をご紹介しました。前回の記事から続くこれらの企業はいずれも1960年代にその地域の「計算センター」として相次いで創立されました。当時は現在のようにコンピュータの所有が一般的ではなく、計算業務を計算センターに委託していたという事実を踏まえると、鉄道が交通インフラであるのと同じようにコンピュータはいわば情報インフラとしての投資事業だったと推察されます。
なお、これら3つの事例と同じような「計算センター系地方豪族企業」の事例としては、他にも、
- 株式会社三重電子計算センター
(1967年、三重電子計算センターとして設立。) - 株式会社ヒロケイ
(1964年、計算センター業務を開始。
1968年、広島計算センターとして設立。) - 株式会社メイケイ
(1962年、名古屋会計計算センターとして設立。)
などがあります。