「ひびのフェスタ」の開催レポート

佐賀新聞社が運営する地域SNS「ひびの」の1周年と、NBCラジオ佐賀プレ50周年を記念する「ひびのフェスタ」が、11月18日に佐賀市天神の佐賀新聞社と「どんどんどんの森」で開催されました。
当日は、家族連れなどのひびの会員ら約1500人でにぎわった、と報道されています。
佐賀新聞による「ひびのフェスタ」の記事は、下記のリンク先をご覧ください。
http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1036&blockId=707131&newsMode=article
以下に、ひびの会員の温泉太郎氏が書いてくださった「ひびのフェスタ」の開催レポートを、許可をいただいた上で転載いたします。



■「ひびの」フェスタレポート1
佐賀県の地元紙「佐賀新聞社」と、同じく佐賀を地盤としたAMラジオ局「NBC佐賀」が主催する「ひびの」フェスタに行ってきました。
このイベントは、今年開設1周年を迎えた佐賀新聞のコミュニティサイト「ひびの」と来年開局50周年を迎える「NBC佐賀」を記念して行われたイベントです。
僕は昨年の11月からこのサイトに入会しましたが、目だった活動はしていませんでした。
しかし今回、このイベントが開かれることを知り、新聞社とラジオ局そしてウェブサイトが連携する大規模なイベントに興味を持ち参加することにしました。
当日、「ひびの」会員の参加者には、受付でハンドルネームを伝えると特別なプレゼントがもらえるということなので、朝早くから大分を出て、午前9時ごろにはイベント会場となる佐賀新聞社に到着しました。
さっそく受付でハンドルネームを伝えるとA4ぐらいの紙袋をもらった他、色違いの3種類のサイトロゴ入りのエコバックの中から自分の好きな色のものを一つ戴きました。
外に出ると、社屋の道路を挟んだ向かい側に芝生広場があり、そこに舞台が据えられ、その前にはたくさんのパイプイスが並び、パイプイスの横から後方にかけては、協賛企業のテントが並んでいました。
そのテントに出店している企業は、地元の結婚式場や大規模温泉施設、大手携帯電話会社の地元支店や変わったところでは県のボーリング協会のブースもありました。
全体的にみるととてもこじんまりとして地味なイメージを受けましたが、ネット関連のイベントということなのか参加企業も少ないイメージを受けました。
しかし、今年がはじめてのイベントだということを考えれば仕方のないことなのかも知れません。
地元の太鼓保存会の演奏でイベントが始まりましたが、何より圧巻だったのが、朝10時から始まったラジオの生放送。
「ひびのラジオミーティング」と題して、地元ラジオ局の人気パーソナリティーと普段は県内各地を飛び回ってリポートしているラジオカーのレポーター全員と「ひびの」スタッフが作るラジオ番組です。
もちろん、パーソナリティーやリポーターを含めた全員が「ひびの」会員。
番組の冒頭、パソナリティーの方が「実は自分もハンドルネームを使ってサイト内で書き込みしています」と話されたときは、本当に驚きました。
番組内では、「5000円あれば……。」というテーマで、リスナーにメッセージやコメントを募集していましたが、普段ならメールやファックスでコメントを受け付けるのが普通ですが、今回は全て「ひびの」サイト上でコメントの募集がなされました。
なので、最初は、「ひびの」未会員のために、入会方法やログインの仕方を説明、番組の合間合間に「ひびの」を使ってのコメントを募集していたので、この日だけで相当な人たちが会員になられたと思います。
ラジオでコメントを紹介する時も、「ラジオネーム」ならぬ「ハンドルネーム」が飛び交い、普段の放送にはない、サイトとの密着感を覚えました。
イベント広場は天気もよく、続々と一般リスナーやひびの会員が集まり徐々に活気が増していきましたが、風が冷たくて辛抱できなかったので、番組冒頭のみ見届けて後は社屋内に引き上げました。
■「ひびの」フェスタ レポート2
佐賀新聞社屋内では、「NORI」さんこと佐賀新聞写真部次長の小山則幸さんのフォトセッションや佐賀新聞社の社屋見学、「Ken」さんこと佐賀新聞論説委員長の富吉賢太郎さんを囲んでの座談会など、他のSNSのオフ会にはない個性的なイベントが行われました。
小山さんのフォトセッションでは、30年近い報道カメラマンとしての経験を踏まえた体験談や魅力的な写真の撮影方法などが語られました。
夏の甲子園大会決勝での佐賀北高校の副島選手が放った逆転満塁での撮影エピソードでは、彼がホームランを打ち、ベースを回りベンチに帰るまで150枚もの写真を撮ったという話がありました。
以前、フィルムで写真を撮っていた時代は一試合に36枚撮りフィルムで5~6本使っていたそうですが、現在では、一試合だけで1000枚~1500枚もの写真を撮るそうです。フィルムカメラ時代は、残りのフィルムのことを考えてシャッターを押すのを躊躇したこともあったそうです。
現在との隔世の感があることを話され、デジタルカメラでの技術革新を喜びながらも、たくさんの写真を撮れる分、1枚1枚を大事にする気持ちが薄れているのではないかと危惧されていました。
社内見学で、特に興味を惹いたのは編集部門、佐賀県内はもとより国内、海外より秒単位で送られてくるニュースを取捨選択し、紙面のどの位置にどういったレイアウトで載せていくのかという過程を分かりやすく話していただきました。
コンピューター化が進んだ現在、それらの作業は全てPCの画面を見ながらの作業となり、画面には、見慣れた新聞の紙面がそのまま映し出されているのを見せていただき、より早く正確な報道が求められている新聞の製作の秘密を垣間見た思いがしました。
佐賀新聞論説委員長で、一面の下段に掲載されているコラム「有明抄」の筆者でもある富吉賢太郎さんのお話しでは、日々のコラム執筆での苦しみと喜びを日々を富吉さんの元に送られてくる読者からの手紙を紐解きながら話されました。
中でも僕が衝撃を受けたのは、ある難病にかかった方々がホテルから宿泊拒否を受けた事件に関連して、その方々に送られてきた露骨な誹謗中傷やあからさまな差別を書いた手紙の紹介でした。
ここにはとても書けないようなひどい言葉の羅列に怒りを覚えながらも、この手紙を送りつけた男性が日本の最高学府であるところの出身でただ一度国家公務員試験に落ちたというだけで、その腹いせとしてこのような手紙を何度も送りつけたというのが事実であり、戦後60年の日本の教育とはいったいなんだったのかと話されたのを聞くにつけ、とても恐ろしくかつ考えさせられる座談会でした。
今回、初めてのイベントで細かいことをいえば不備もありましたが、全体的にみて、新聞社が行うイベントらしく、知的なものも多く、他の地域SNS事業者にも大変参考になるイベントであったと思います。
来年以降の開催はまだ決まっていないようですが、出来れば毎年一度は開いて会を重ねるごとに充実する姿を追っかけて見たいと思わせる内容でした。